
25周年記念大会開催おめでとうございます。
シマノ鈴鹿ロードにはじめて出場したのは小学校3年生の時。記念すべき自身初のロードレースだった。当時は6段変速の24インチのロードレーサーに乗って、小学生の部に出場した。このときの思い出は「悔しい」という思い。
当時は小学校6年生まで、すべての学年がひとつのレースで行われていた。6年生ともなれば、もう大人用のロードレーサーに乗っていたし、当然、身体の大きさも違うし不利な状況だった。でも、レースをするからには勝ちたかった。
それからシマノ鈴鹿ロードには毎年出場した。「勝つ」ことが達成されたのは2年後の小学校5年生のとき。小学生の時、シマノ鈴鹿はロードレースの全国大会だと思っていたから、夏休み最後のビックイベントだった。

その後、中学生になってからは、大人のクラスに参加した。ヨー ロッパでプロになりたいという思いもあって、できるだけ高いレベルのレースを走りたかった。
そして、国際ロードの猛スピードで駆け抜けるトップ選手の姿を間近に見ることもできて自転車に魅了された。いま自分がプロとして走ることができているのは、シマノ鈴鹿ロードがあったからだと言っても過言ではないと思う。
(右の写真左端が小学生時代の別府選手)
◆スキル・シマノ プロサイクリングチーム
別府史之


25周年おめでとうございます!
私がシマノ鈴鹿ロードに初めて参加したのは、確か高校2年生の時。ロードレースに出場する機会も少なく、当時、雑誌でしか見ることのできなかった国内外のトップ選手を目の当りにして、興奮を覚えた記憶があります。
それから数年が経過し、気が付けば、私はこのレースにホストチームの一員として参加していました。当時憧れだったチームで、国内最大のイベントレースを走ることができる。それだけでも強い感動を覚えていたのですが、私がシマノの一員として走った最初の鈴鹿ロードには、ヨーロッパの強豪選手達も名を連ねていたのです。
世界チャンピオンのブーニョやルブラン、その他にもワールドカップで勝利しているような選手が数人。憧れたチームに入った私でも、更に雲の上の選手と肩を並べて走る事は、夢のような出来事でした。
そのレースで、私は彼らの逃げの中に、ただ一人日本人として加わる事になったのです。その逃げを決定付けたミッサーリャのアタックは本当に速く。世界で走る経験の少なかった私には、未知のスピードであった事を覚えています。
彼のスピードに耐え抜くうちに、気が付けば私の周りにはスーパースターのジャンニ・ブーニョやファビオ・サッキと言った選手が追いつき、その後ブーニョのアタックによりレースは決定付けられました。彼らと立ったポディウムは、私にとって強く印象に残り、その後の原動力となりました。鈴鹿ロードは、私が世界を目指す原点になったレースと言っても過言ではないでしょう。
25周年を迎えたこのレース、これから先も未来を担う若者にとって、大きなステップとなる事を望んでいます。
◆スキル・シマノ プロサイクリングチーム
野寺秀徳


シマノ鈴鹿ロード25周年、節目の年おめでとうございます。
私もシマノ鈴鹿ロードに対して思い入れが強く、20周年記念と節目の年に優勝する事ができました。チームみんなで絶対優勝して節目の年を飾ろうと気合いが入っていたのを思い出します。優勝した時は緊張から解放されてホッとした気持ちでいっぱいでした。
また参加者皆さんがシマノ鈴鹿の雰囲気を楽しんで、凄い盛り上ってるなと思った大会でもありました。真剣勝負を繰り広げる国際ロードレースをはじめ、ホビーレースからサイクリングまで幅広く楽しめる大会がシマノ鈴鹿ロードの最大の魅力ですね。25年と長い歴史を刻み続け、これからも末永くサイクリストに愛され続けられる大会である事を願っています。
参加者の皆さん、シマノ鈴鹿ロードをサイクリストも応援のご家族もみんなで楽しみましょう!
◆スキル・シマノ プロサイクリングチーム
鈴木真理

第25回シマノ鈴鹿ロードレース大会開催、おめでとうございます。

私がこの大会のエキスパート女子の部で優勝したのは13年前の第12回大会です。当時は高校2年生で、ただ我武者羅に上位を目指し、走っていたことが思い出されます。また、弟もジュニアの部で優勝し、帰りの車中は両親も笑顔で、ルンルン気分だったことが昨日のことの様に思い出されます。
さて、このシマノ鈴鹿ロードレースはカテゴリーが細かく分かれており、初級者から上級者まで自分のレベルにあったクラスで走ることができ、ステップアップを目指すにはとても素晴らしい大会だと思います。走る目的は皆さんそれぞれでしょうが、『楽しんで走る』ということが一番です。怪我をしないで楽しんでレースに臨んでください。
四半世紀を迎えるこの大会がこれからもずっと続くことを願っております。
最後に、25回記念大会の御成功を心よりお祈り致します。
◆株式会社マトリックス
太刀川 麻也
写真は第24回アジア自転車競技選手権大会 ケイリン女子 表彰式(2004年)

シマノ鈴鹿ロードレース25周年おめでとうございます。
国内において数少ない国際ロードレースを楽しめるこの大会は、選手にとって非常に有意義なものであり、経験者に関わらず子供から大人まで幅広くレースに参加できる事は、ロードレースの発展に多大な影響を与えているものと思います。また、愛三レーシングチームもこの大会はファンのみなさんとも交流させていただく貴重な場所と時間を作る事が できるので、毎年楽しみに参加させていただいております。
大会25周年を迎えられ、大会のみならず、国内のロードレースがさらなる飛躍をしていくためにも、運営に携わる方々のご協力と、我々選手がレースを盛り上げる事は必然であると思っております。
今後もこの貴重な大会が末永く続き、益々の発展を遂げられることを祈念いたしております。
◆愛三工業レーシングチーム
西谷泰治

イタリアのプロチーム・ポルティに入るきっかけになったのが、1993年に開催された第10回記念大会。それまでプロは”雲の上の存在”でしたが、このシマノ鈴鹿で世界チャンピオンのブーニョやルブランと共に走り、一部のプロと食事をする機会を得たのは、大きな刺激になりました。「同じ人間なんだからできないことは無い」、そう思えるようになったのですから大きな進歩です。
その後、ポルティに在籍し、シマノ鈴鹿で一緒に走ったブーニョとルブランの2人とチームメイトになり、共にヨーロッパ各地を転戦して、勝利の喜びを分かち合うことになるのですから、運命とは不思議なものです。また、学生だった1989年の第6回大会では、TOSHIBAチームと一緒に記念写真を撮りましたが、その写真が当時の僕の宝物でした。僕は間違いなくシマノの国際ロードから大きな影響を受けた一人ですね。
引退して以来、毎年鈴鹿に来てインターマックス・ブースに立っていますが、中にはこの10年で大きな成長を遂げ、インターハイや国体で活躍するようになった子供達もいます。これから先も、このシマノ鈴鹿が選手を育てる一翼を担い、皆さんがロードレースを走る喜びを共有できる大会であり続けて欲しいと願っています。
◆株式会社インターマックス代表
今中大介


気がつくとこの大会も早25回目、鈴鹿で行う以前から何度も出場し楽しませてもらっています。多分、国際ロードに出場している選手の中では一番古くからお世話になっているんじゃないでしょうか。今後も大会のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。
シマノ鈴鹿ロードは観客数も多く、選手としても非常にエキサイティングなレースのひとつ。毎年出場するのを楽しみにしています。
サーキットを正回りで行った最後の97年、シケインから先行して「勝った!!」と思いましたが最後の最後で差されて2位。そして昨年(2007年)もスプリントをかけるタイミングが遅れてしまい絶好のチャンスを逃してしまって2位と、今まで2位に2回、まだ先頭でゴールを駆け抜けたことがない大会です。
今年を持って現役を引退しますが、できることなら今年はぜひ悲願達成といきたいですね。また多くの方からの応援が追い風となって今年こそ優勝できればと考えています。今年はスタートからゴールまでクライマックス、全力で頑張りますので応援よろしくお願いいたします。
◆マトリックス パワータグレーシング
三船雅彦

このたびは、シマノ鈴鹿ロードレース25周年大会おめでとうございます。
私のシマノ鈴鹿ロードレースの思い出は、初めて鈴鹿ロードレースに出場したのは、中学校3年生の時でした。出場したカテゴリーは、中学生の部。
そこでなんと優勝しまして、私の人生が変わりました。それからというもの、自転車競技にのめり込み、そして、いつかシマノ国際ロードレースに出ることを夢見ながら走ってきました。
そして、月日は流れて気づけばシマノレーシングに所属、なんと、国際ロードレースで優勝していました。中学生のころ憧れていた表彰台の1番に立っていました。しかも、2年連続で。自分の人生を左右したレースで、まさか一番上のカテゴリーで優勝できるなんて。
しかも、中学生のころ出場したレースが、まだ大人になってもちゃんと開催されていることがうれしかったです。

毎年毎年、こんなに観客が大勢見ている中のレースは本当に選手として楽しく、嬉しいことです。是非とも、今後ともシマノ鈴鹿ロードレースを続けて、また今、小学生や中学生の選手が大人になってもこのレースに出場できるように存続させていただきたいと願っています。私自身も、シマノ鈴鹿50周年記念大会を期待しています!!
本当に25周年大会おめでとうございます。
◆ブリヂストンアンカー
山本雅道
